出産。
出産。
姉も子供がいる事もあり、姉が出産した時は中学生ながらとても感動してほっこりして神秘的に感じていた。母子同室で過ごし、素敵な産後生活を送っていたように見えた。
当然、わたしもそんな風に幸せな経験ができると思っていた。
妊娠中は、つわり無し、大きなトラブル無しだった。大きくなるお腹が、ただただ幸せだった。
産休に入り、初めてベビー服というものを買った時は感動した。実感がなくてフワフワした感じ。それまで仕事で疲れて日常を送るのが精一杯で、出産準備をしていなかった。
インスタなどでは、同じくらいの予定日の妊婦さんはキラキラした妊娠生活を送っており、可愛いベビーグッズを揃えていたり、羨ましかった。やっと私もそういう時間ができたのかなと思っていた。
里帰り前は、夫婦仲も良く、言うのは恥ずかしいけど、旦那のことは大好きだった。二人で暮らした2年弱は幸せだったし、里帰りで離れるのがカナリ辛かった。辛すぎてめちゃめちゃ泣いたりした。
里帰りの日、次この家に帰る時は3人だなと思って家を出た。
里帰りすると、実家生活は快適そうで快適ではなかった。2年弱、新しい場所での生活が染み付いていて、色々と母ともぶつかった。
掃除しまくり、出産先の病院にも、通ったりしてあとは陣痛待ちになった。
暇なのでインスタを見まくる。逆子だったので帝王切開かなーとか考えたりしていた。
でも、ある日、逆子が治った。
喜んだけど、つまり、下から出すってことか、、、。おお、心構えしてなかった。。大丈夫かな、、という気持ちになった。
それからまた出産レポを読み漁る。
今思えば、このスマホ依存症がすべての幕開けだった、、。
出産レポはどれも壮絶で、だんだん怖くなっていった。のたうちまわる痛み?ハ?おしっこやゲロをぶっかけまわる?! え、、、何やコレ、、死ぬん?
怖いこわいこわいこわい。。
しかも、お腹の子の予想体重はかなりデカく、それにもビビりまくっていた。甘いものを食べるとデカくなるという情報を見つけ、甘いものはキッパリやめた。
しかし、母が買ってくるのはジャムパン菓子パンカフェイン入りの、緑茶。
ストレスマックスだった。
出産準備品を選びたがる母。私の子供なんですけど。。
てか産む心構えできてないよう、、怖い、、。
だんだん暗くなっていった。
親も家族もかなり心配してくれた。けど、私を励ます言葉も全部素直に受け取れない。
産院でNSTをとっているとき、助産師さんに少し気持ちを打ち明けたら、肩に手を置いて全部聞いてくれた。涙が止まらなかった。私はどうなるんだ。赤ちゃん、こんなんでゴメン。
先生も心配してくれて、気持ちを変えるためになんと入院させてくれた。
それで気持ちは少し楽になった。
何があってもここなら大丈夫。。。。助産師さんも話を聞いてくれて、不安な気持ちはかなり和らいだ。
新生児室を見ると、赤ちゃんがズラリと並んでいる。
私の赤ちゃんもここに並ぶのだろうか。
てか、赤ちゃんみんなデカイな、、こんなのが下から出るんかな。。。
不安と期待が入り混じりながら毎日過ごした。
だんだん予定日直前になってくる。
いつ産まれるんだろ。無痛にしようかな?
無痛の話も聞いた。けど、聞いて夫婦で話し合って、無痛はしない事にした。
そんなこんなしてると、なんとなく陣痛ちっくなものが来た。
夜はじまり、感覚が一定。。おしるしアリ。。
先生に、内診してもらい、今日か明日には本陣痛くるよ!がんばろう。と言われた。
怖がっていたけど、陣痛がきたことが嬉しかった。
陣痛を促すために、病院内をかなり歩いた。
NSTをとっていると、急に呼ばれた。
今のうちに産着に着替えましょう。と、分娩準備スタイルになった。
そして、まだまだ我慢できるのに、分娩室にいきなり横にならされ、腕に点滴。。。
状況がよくわからない。。まだ生まれないけど。。
すると先生がきて、内診。赤ちゃんの心拍が早くなってるから、帝王切開した方がいい。とのこと。
もう怖いとかいってられない。「赤ちゃんにとって一番良い方法をお願いします。」と言った。
たちまちに、バッタバタで手術の準備が始まる。たぶん、問題妊婦だったから、たくさんの先生とか婦長とか助産師さんがいた。
同意書を何枚も書かされ、手術室に移る。でもその間も陣痛は強くなっていて、となりの部屋に移るだけでも陣痛がきたりして立ち止まりながら耐えたりした。
手術が始まり、ひたすら深呼吸に集中した。
婦長さんが私がパニックにならないよう、ずっと話しかけてくれていた。
「やっと赤ちゃんに会えるよ!今日が赤ちゃんの誕生日になるのよ!すぐおわるからね!全然痛くないよ!」とか。
今日が赤ちゃんの誕生日に、なるのか、やっとやっと会えるのかと思うと、涙が出てきて、今まで溜まっていたものと、嬉しさと不安と手術の怖さと、いろんなものが入り混じって、手術が今から始まるのに、たくさんの人の前で大声で泣いてしまった。
「泣いてもいいんだよ!がんばろうねお母さん!」と言ってくれた婦長さん。
麻酔がなかなか効かず、手術中は、マジでヤバイんじゃないか?と思った。先生、神頼みしだすし、、、神頼みされてるって何なん、、と思いながら、、
最後の一発で、なんとなく麻酔が効いて、手術が始まって、ふぇぇと赤ちゃんの泣き声が聞こえた。
青かったのしか記憶にない。急いでほっぺにビチャっと赤ちゃんを触れさせてくれて、すぐ小児科の先生が診てくれた。
デカかったらしいし、元気に泣いて、家族にも赤ちゃんを見せれたらしいということを聞いて安心した。
やっと、やっと、終わった、、、、、と思ったらいきなり元気になり、処置のためにしてくれた眠る麻酔も効かなかった。。麻酔が効きにくい身体なのかもしれない。
先生が、おしゃべりしよう!といってくれて、後処置の間、ずっと雑談していた。
手術室を出ると、旦那がいて家族もみんなきていた。
やっと終わった〜今までごめん。本当にありがとうございます。心配かけました、、と皆んなに言いまくってたら、先生がきて
「赤ちゃんの血糖値が低いのでミルク飲ませて点滴しています。」
と言われた。
時が止まった。突き落とされたってこんな感じのことを言うんだろう。
とっさに「命にかかわりますか?」と聞いてしまった。
先生「それはありません」
と。明日、小児科の先生がくるからその時診てもらおう、ということになった。
それから、赤ちゃんのことで頭がいっぱいになった。
心配で、何度も保育器を見てきてほしいって、旦那や看護師さんに頼んだ。
術後の痛みは覚えていない。けど、高熱が出て水も飲めなかったのは覚えている。
痛みより何より赤ちゃんの事しか考えられなかった。
夜中、新生児室から、他の赤ちゃんの泣き声が聞こえる。涙が止まらない。
看護師さんに明け方、赤ちゃんの血糖値が落ちついたよ、といわれ、やっと眠れた。
次の日、早朝、婦長さんがきて、赤ちゃんの血糖値が安定しないからnicu に診てもらおうと言われた。
nicuとかピンと来なかった。
そこに行けば完全に治ると思った。だからあんまり悲観はしてなかった。
しばらくすると救急車が来た。
え?救急車で行くの?
たぶん私がパニックになるのを予想したのか、また、助産師さんたちがわんさか来た。
救急車にのる直前、初めて赤ちゃんと対面した。フニャフニャして赤ちゃんの匂いがした。
たぶん、この時の感覚は一生忘れないと思う。こんな状況だったけど、やっと我が子をちゃんと見れて嬉しかった。
でも、すぐ救急車に乗って行ってしまった。
旦那は一人でnicuに行った。
旦那もかなり精神的に来ていただろう。
こうして、私は赤ちゃんを産んだのに、また一人で部屋に残った。